『第3回NEWギャラリー展』
6/23[日] 14:00 (一部)/16:00 (二部) [カンパ制]
会場:OHARANO STUDIO GALLERY
新たなギャラリーでのイベントとして、
新たなギャラリーが集まる場所として、
誰もが、どんなスタイルでも参加できる即興セッションイベント『NEWギャラリー展』を企画しました。
主催:波多野円香
(OHARANO STUDIO GALLERY)
[email protected]
6/23[日] 14:00 (一部)/16:00 (二部) [カンパ制]
会場:OHARANO STUDIO GALLERY
新たなギャラリーでのイベントとして、
新たなギャラリーが集まる場所として、
誰もが、どんなスタイルでも参加できる即興セッションイベント『NEWギャラリー展』を企画しました。
主催:波多野円香
(OHARANO STUDIO GALLERY)
[email protected]
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第3回NEWギャラリー展 REVIEW
第3回NEWギャラリー展 REVIEW
第3回目においては、踊り、音楽、ペイント、朗読、語り、電話、写真、足音、笑い、椅子、折り紙、メロン、靴など、分類しようがない様々な表現が登場し、激突していた。
大きな役割を果たしていたのは声である。
読み上げられたテキストは場に物語を持ち込み、個人の語りは場に意味をもたらし、電話のやりとりは場を現実と結びつけ、その混沌を強調していた。
物語や意味がもたらされる——それ以外の物語や意味が退けられることは、表現に対する脅威とも言えるだろう。しかし、本イベントにおける声はむしろ、セッションに目に見えないレイヤーを追加し、深みを増す機能をもっていたように見えた。
盛り上がりを見せたのは第2部。
振り返っていると、ふと「イヴェント」や「パーティ」の名の下に、物を壊し、絶叫し、騒ぎすぎたあまりに展覧会の会期を短縮させられることもあったらしい1960年代前半の前衛芸術家たちの行為が頭によぎった。それと比較すれば大人しいだろうが、倫理を飛び越えかねない危うさも覗き見していた時間だったと思う。
大きな役割を果たしていたのは声である。
読み上げられたテキストは場に物語を持ち込み、個人の語りは場に意味をもたらし、電話のやりとりは場を現実と結びつけ、その混沌を強調していた。
物語や意味がもたらされる——それ以外の物語や意味が退けられることは、表現に対する脅威とも言えるだろう。しかし、本イベントにおける声はむしろ、セッションに目に見えないレイヤーを追加し、深みを増す機能をもっていたように見えた。
盛り上がりを見せたのは第2部。
振り返っていると、ふと「イヴェント」や「パーティ」の名の下に、物を壊し、絶叫し、騒ぎすぎたあまりに展覧会の会期を短縮させられることもあったらしい1960年代前半の前衛芸術家たちの行為が頭によぎった。それと比較すれば大人しいだろうが、倫理を飛び越えかねない危うさも覗き見していた時間だったと思う。
[第1部]
・カードにテーマを記入→混ぜて分配
割り当てられた言葉を他の人に伝えない状態でセッション(約30分)
参加者の方の提案で、1人1つの言葉をカードに書き、書かれた言葉が分からない状態でそれらを混ぜて分配し、それぞれが自分に割り当てられた言葉をテーマに即興する時間とした。
唐突にテーマが与えられるという状況からか、全体的な表現は内向きのものとなっている印象が強く、動きの大きさやテンションにも落ち着きがあったように見える。一方で、声を音として用いる参加者や、足音を取り入れるダンサーが登場し、これまでになかったセッションの構図が生まれていた。
第1部を終えて交流会。テーマをどう解釈するか、どう表現するか、どうこの場に取り込むかなどの話題の広がりに、言葉が1つあるということがどれほど影響力を持つのかを知ることになる。カードに書かれた「目」を「四」と解釈していたという参加者もおり、表現が人から人へと伝わる際に発生する避けようのないズレも体感した。
与えられた言葉をどれほど意識しているかについても、人によって違いがあったようである。意識はしていたが結局あまり何もできなかった、最初は意識していたものの、気づくと周りに引っ張られていたなどの意見があったが、一定の縛りがあるからこそ、これらの逸脱も可視化されたのだろう。
〈テーマとその解釈に関するメモ〉
・四:4拍子のリズムを鳴らす/腕を使って空間を囲むように動く/相手との位置を対角線の関係にする
・緑:緑がテーマの曲を流したかった(できなかった)
・青:色としての青/細く長いイメージ/信号が進む/青春/冷静・クール/ブルーな感情
・森:この場を森と見立てる/森の多層なレイヤーを表すために小物を用いる/森を木の集まりとみる
・静謐:漢字を分解することができる
・気まぐれ:気持ちが移り変わることを表現/人の表現をみてやりたくなったことを自分もやってみる
・健(メロン):メロンのイラストや文字のペインティング/メロンの撮影
・食:メロンを持つ/この場を食べ尽くす
・笑い:声を出して笑うと場が崩れてしまうのではないか?→心の中で笑う
・結び:写真を撮って共有=私たちはその写真を通して結ばれる
・カードにテーマを記入→混ぜて分配
割り当てられた言葉を他の人に伝えない状態でセッション(約30分)
参加者の方の提案で、1人1つの言葉をカードに書き、書かれた言葉が分からない状態でそれらを混ぜて分配し、それぞれが自分に割り当てられた言葉をテーマに即興する時間とした。
唐突にテーマが与えられるという状況からか、全体的な表現は内向きのものとなっている印象が強く、動きの大きさやテンションにも落ち着きがあったように見える。一方で、声を音として用いる参加者や、足音を取り入れるダンサーが登場し、これまでになかったセッションの構図が生まれていた。
第1部を終えて交流会。テーマをどう解釈するか、どう表現するか、どうこの場に取り込むかなどの話題の広がりに、言葉が1つあるということがどれほど影響力を持つのかを知ることになる。カードに書かれた「目」を「四」と解釈していたという参加者もおり、表現が人から人へと伝わる際に発生する避けようのないズレも体感した。
与えられた言葉をどれほど意識しているかについても、人によって違いがあったようである。意識はしていたが結局あまり何もできなかった、最初は意識していたものの、気づくと周りに引っ張られていたなどの意見があったが、一定の縛りがあるからこそ、これらの逸脱も可視化されたのだろう。
〈テーマとその解釈に関するメモ〉
・四:4拍子のリズムを鳴らす/腕を使って空間を囲むように動く/相手との位置を対角線の関係にする
・緑:緑がテーマの曲を流したかった(できなかった)
・青:色としての青/細く長いイメージ/信号が進む/青春/冷静・クール/ブルーな感情
・森:この場を森と見立てる/森の多層なレイヤーを表すために小物を用いる/森を木の集まりとみる
・静謐:漢字を分解することができる
・気まぐれ:気持ちが移り変わることを表現/人の表現をみてやりたくなったことを自分もやってみる
・健(メロン):メロンのイラストや文字のペインティング/メロンの撮影
・食:メロンを持つ/この場を食べ尽くす
・笑い:声を出して笑うと場が崩れてしまうのではないか?→心の中で笑う
・結び:写真を撮って共有=私たちはその写真を通して結ばれる
[第2部]
・「余白」をテーマにセッション(約55分)
風がまっすぐ通るように窓を開け、外に出てもよしというルール。
外にいたメンバーは、スタジオに届いた荷物を頭に載せて運んでいたり、庭を抜けて駐車場にも行っていたり、靴を足でつかんで縁側に差し出してきたり。ギャラリー外=余白に自由気ままに存在していたようだ。
朗読が入って以降、声の表現が重なりはじめる。
一番に読み上げられたテキストは大崎清夏の『踊る自由』。
具体的な映像を暗示し続ける詩の内容に対し、繊細に踊るダンサーと、かすかに鳴らされるカスタネットやギターのバランスがとても心地よい。目に見えない映像を共有しながら、現実世界が目の前に広がるという多層空間。
そこに、いらだっているような強い口調でやりとりを仕掛ける別の参加者。また別の参加者による茨木のり子の詩の朗読も加わり、全体の声量はどんどん大きく、もはや喧嘩かという域に達していた。
盛り上がりに乗じ、DJブースから折り紙がばらまかれる。
実際には見たこともない、戦場の風景が重なって見えた。
かけられている音楽からは「~~死んだのさ~」という歌詞が聞こえてくる。
「死んじゃったの?まだ生きてる?」誰かが問う。
「生きててよ」
「生きててほしい」
「いつかは死んでもまだ生きててほしい」
言葉の応酬のさなか、洋楽のサビが流れだした。
「Yeah~Yeah~Yeah」
皆でリズムに乗って踊る。
緊張からの突然の解放に、自分は死んでしまったのではないかとすら思った。
折り紙を食べている参加者が目に入る。
本当に死んでしまいかねないので困ったが、
生きている時間に対して、死は最も純粋な余白なのかもしれない、などと考えてしまった。
最後にはメロンを全員で食べた。生きるために。
波多野円香(OHARANO STUDIO GALLERY)
Monochrome Photography by Yuho Kusakabe
・「余白」をテーマにセッション(約55分)
風がまっすぐ通るように窓を開け、外に出てもよしというルール。
外にいたメンバーは、スタジオに届いた荷物を頭に載せて運んでいたり、庭を抜けて駐車場にも行っていたり、靴を足でつかんで縁側に差し出してきたり。ギャラリー外=余白に自由気ままに存在していたようだ。
朗読が入って以降、声の表現が重なりはじめる。
一番に読み上げられたテキストは大崎清夏の『踊る自由』。
具体的な映像を暗示し続ける詩の内容に対し、繊細に踊るダンサーと、かすかに鳴らされるカスタネットやギターのバランスがとても心地よい。目に見えない映像を共有しながら、現実世界が目の前に広がるという多層空間。
そこに、いらだっているような強い口調でやりとりを仕掛ける別の参加者。また別の参加者による茨木のり子の詩の朗読も加わり、全体の声量はどんどん大きく、もはや喧嘩かという域に達していた。
盛り上がりに乗じ、DJブースから折り紙がばらまかれる。
実際には見たこともない、戦場の風景が重なって見えた。
かけられている音楽からは「~~死んだのさ~」という歌詞が聞こえてくる。
「死んじゃったの?まだ生きてる?」誰かが問う。
「生きててよ」
「生きててほしい」
「いつかは死んでもまだ生きててほしい」
言葉の応酬のさなか、洋楽のサビが流れだした。
「Yeah~Yeah~Yeah」
皆でリズムに乗って踊る。
緊張からの突然の解放に、自分は死んでしまったのではないかとすら思った。
折り紙を食べている参加者が目に入る。
本当に死んでしまいかねないので困ったが、
生きている時間に対して、死は最も純粋な余白なのかもしれない、などと考えてしまった。
最後にはメロンを全員で食べた。生きるために。
波多野円香(OHARANO STUDIO GALLERY)
Monochrome Photography by Yuho Kusakabe
〈次回予定〉
『第4回NEWギャラリー展』
7/14[日] 14:00- [出入り自由] [カンパ制]
会場:OHARANO STUDIO GALLERY
主催:波多野円香
(OHARANO STUDIO GALLERY)
[email protected]
※終了しました